死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

わたしの中の黒③

あの時と同じように

苦笑いしながら

わたしのことを見ていたんだろう。


もう何を言っても

絶対敵わない相手になってしまって

それはそれでちょっと悔しいけれど


主人はわたしの強さを知ってるし

わたしの愚かなところも

よーくわかってて

ちゃんとそばにいて

わたしがわたしの人生を全うするのを

主人なりのやり方で支えてくれているから、


もう主人のことをゆるしてあげよう

(あくまでも、上から目線で(笑) )



久しぶりに

大好きだったB級グルメのひとつ

夕飯に作った焼きそばを

お供えしてあげました。

わたしの中の黒②

わたしは結婚後間もなくして

人に強く勧められて車の免許をとった。

自動車を運転することに対し

(恐い)という思いも強かったので、

決して前向きではなかった。

それでもトントン拍子で仮免をパスし

一度も補講を受けることなく

卒検にまで至った。


ところが…

2度も検定に落ちてしまった。

一度目はひどく緊張したため。

二度目はうっかりミス。


すっかり自信を無くしたと共に

(落ちた)という事実が恥ずかしく


「もう、免許はいらない!」


と教習所に通うのをやめた。

その時主人は黙っていた。



しばらくして


「△△(わたしの名)ちゃん、

頼むから俺のために免許とって」


と言ってきた。

内心、わたしもこのままではいけないと

思っていたけれど、

わたしにも意地があり(笑)

行けないでいた。

主人はそんなわたしのちっぽけなプライドに

上手に揺さぶりをかけてきた。

わたしには

(主人のために仕方なく)という

教習所に戻る立派な理由ができた。

そうしてめでたく

わたしは車の免許を取得することができた。


後になって

主人にこの話をしたら


「だって金がもったいないやん」と。


全くもってその通りで、

わたしはまんまと主人の術中に

はまってしまっていたんだと

気づかされた。




前のページの下書きをしてから一週間。

その間に上のエピソードを思い出した。

そして今回もまた、

上手く主人に誘導されたんだな、と思う。


主人らしいやり方で

わたしが蓋をして押さえ込んでいた

怒りの感情を

外に解放してくれたんだと思う。


主人との死別は

ほんとうに突然の別れではあったけれど、

わたしはこの状況を

こころの奥深くで理解し、

受け入れようとしていた。


その思いはずっと変わらないでいたけれど、

一方で

わたしの中のエゴイスティックな側面が

『わたしを』傷つけた主人に

激しく憤っていた。

この一週間、わたしは主人を罵ったけれど、

もちろん何の返事もない。

だから

唯一わたしができる主人への仕返しとして


(わたしは)絶対に幸せにならない。


と本気で思っていた。

〇〇ちゃん(主人愛称)のせいで

わたしが苦しみ続ければ、

主人も決して幸せではいられないだろうから。

わたしの中の黒①

ある出来事がきっかけで、

主人を喪った悲しみの涙が

一変

主人への怒りからくる

悔し涙に変わってしまった。


一生消えることのないと思っていた

胸の傷は瞬く間に癒え、

主人に対する『仕返し』の

エネルギーが

こころの内に満ち満ちた。


深い深い悲しみや絶望が

怒りに変わる瞬間を

わたしは自分の内側に

見てとった。




わたしは魂(と呼ぶのが適切かどうかわらかないが)

はあると思っている。

肉体は滅んでも、

魂は永遠だと思っている。

あらゆる宗教や哲学や思想は

脇に置いておいて、

理由も根拠もないが、

とにかく『在る』。


だから、主人のことは

何も心配していない。

主人という肉体が

その生命活動を終えたというだけで、

主人は主人であった前の状態に

本来の姿に

戻ったんだと思っている。



主人の死後

わたしが流した涙のほとんどは

(主人がかわいそう)

という思いよりも

『あの』言葉にならない痛みが

辛くて辛くて泣いていた。


こんなに深い傷を

わたしに負わせた主人に

実は

激しい怒りを感じていた。


こんな風に死に別れることを

ひどい裏切り行為だと

思っていた。


わたしの主人に対する怒りの感情は

自分が自覚していた以上に

大きかったことに気づいた。