ここに深い深い悲しみがあり さみしさがあり思慕がある。 そして これらを体験している者がいる。 体験と体験の間の小休止のうちに いつも思い出さなければならないことは、 『ほんとうのわたし』は この悲しみではなく 悲しみを体験している者でもなく、 その両方に 『気づいている』存在であるということ。
2017年5月のブログ記事
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こんなに悲しいのに なぜ生きていられるんだろう。 こんなにこんなに悲しいのに なぜ今日も わたしの心臓は動いているんだろう。 こんなにこんなにこんなに悲しいのに。
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