死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

祥月命日

昨日、子ども達と3人で、三回忌法要を
執り行っていただきにお寺へ行ってきた。


わたしには『宗教心』がなく…
『こころ』さえあればそれで十分で、
本音を言えば
わたしは
こういった『儀式』になんら意味を感じない。
(乱暴な言い方をゆるしてくださいね)
それでも
毎朝・夕、主人と主人と共に埋葬されている方々のために
(のちのちのことをも考えて、最初から永代供養墓に納骨しました)
祈りを捧げてくださっている住職さま・
お寺の関係者のみなさまには
感謝の気持ちがわいてくるし、
朗々と唱えあげられるお経を聞いていると、
そんなつもりはなかったのに、
涙が自然とこぼれ落ちてきた。



2年もたってしまった。
去年は
『生き延びたんだ』という、気持ちだった。
あの衝撃と痛みと苦しみを抱えて、
とても生きていけるとは思えなかったから。
今年は
『頑張って』生きてきたな…という思い。



今も辛い。
さみしいし、毎日会いたいと思っている。
でも
2年前と去年と今日とでは、
明らかに心持ちはちがう。
前向きに生きてきたつもりはないけれど、
主人が亡くなったことで
わたし達が不幸になることだけはないように
遺された自分たちが
『可哀想なひと』にはならないように、
それだけはこころに強くもち続けてきた。
そうなることは、
主人を責めることになると思ったから。
優しかった主人が
わたし達に謝り続けなければならないような
そんな家族ではいたくなかったから。


それからなにより
主人は死んでなんかいない。
身体は確かに失ってしまったけれど。
目に見えないから
科学で証明されていないから
信じられていないだけで、
それは
昔々のひとびとが
地球が丸いとは信じられなかったのと同じ。
その気づきをさらに深めてくれたのが
はからずも主人の死だった。



来年の今日はどんな心境になっているだろう。
今日よりもっと
主人を間近に感じられていると…
いやいや
主人とわたしと全てがひとつだと
感じられているといいな。