死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

前ではなく上へ

たまにこのブログの過去記事を読む。

先日もふと思い立ち

(1年前のわたしはどんなだっただろう…)

と振り返ってみた。


苦笑…


変わってない。

同じところを行ったり来たり?

あるいは

ぐるぐる廻ってる?


いつもブログには

その時どきに「書きたい!」と強く感じた自分の思いを綴ってきた。


うちひしがれたまま生きていこうとか

前向きにならなきゃとか

何かしらの意志をもってここまできたつもりは(今この瞬間は)ないけれど、

それでも

このまま哀しみの中で生きていく(生きていきたい?)自分に囚われることもあって、

時折、主人と死別した『このわたし』の『在り方』に戸惑ってしまうことがある。



わたしは強い(笑)

強くいられるのは、元来の気性と

恵まれた環境~

主人が亡くなってすぐにたまたま知り合った少し年上の女性が、未亡人だった。

(それから彼女とは友人になった)

これまで知らなかったけれど、職場の仲間にも、境遇を同じくする人がいた。

さらに、仕事を通して出会った2-3人のご高齢の方は、20~30年前にご主人と死に別れていらっしゃった。

そして、ブログで知った死別経験された方々。


どの人もそしてわたしも

そんな哀しみを抱えて生きているとは、傍目には思えないほど、ふつうに生きている。

だから

わたしだけじゃないんだな…って励まされ、

今目の前で笑っているあちらこちらの人も、

実は大きな苦しみや哀しみを携えて生きているのかもしれない

と思えるようになった。


死んでしまったのは主人の身体だけだということもわかっている。


~そんな中に『在る』身体をもった『わたし』は、ついつい押し寄せるさまざまな感情~空に次々と流れる雲のような~に身を委ね、あたかもそれ(雲)が自分自身であるかのように錯覚してしまうけれど、

哀しみは哀しみとして

哀しみに引きずられることなく、

勇気をもって、雲の上の明るい空がわたしであったのだと、全身でわかりたいと思う。

ほんとのきもち

○○ちゃんに会いたい。

今すぐに会いたい。


「△△さん(わたし)、あなたの命は間もなく尽きます」と宣告されたなら、

心底ホッとしそう。

(ああ…これでやっと、○○ちゃんに会える)って。


世間のあれやこれやに、興味も関心も湧かない。

感動しきれない。

慶びも素直に喜びきれない。

いつもいつも、悲しい思いがそこに併せてある。


ただ息をして、食べて眠って排泄して、生き物らしく生きているだけ。

死が訪れるその日まで、きっとそうやって生きていくんだろう。


正直。

人生の後半は、哀しみ色に染まっちゃったな。

生まれてきたことに後悔。

人生って、空っぽだったんだなって学んだよ。

早く逝きたい。還りたい。

もう涙を流したくない。

これで最期にしたい。


辛い辛い

死別後でした。

ゼロ

見つめ合い

笑顔を交わしながら

他愛のない話をする。


ぎゅっと抱き合って

お互いのぬくもりにほっとする。



○○ちゃんの姿・声・匂い・体温

そのどれもこれもが

懐かしくて…


哀しくなる。



もう…


ぜったいに会えないなんて…ね。


今日もやっぱりさみしいよ。