死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

離れ難きもの

この数日、目覚めと共に、「ああ…悲しい」と感じているのに気づく。


春一番が吹いたようだ。

また春が来る。

9年という歳月。

一日とて思わない日はない。

たまらなく会いたいという思いと

それは死ぬまで叶わないのだという葛藤を抱き続けながら生きながらえてきた日々。

悲しみの出口は分厚いカサブタですっかり塞がれてしまった。


あの亡くなった当初のように滂沱の涙を流したい。


泣きたい。



行場のない悲しみが、わたしにべったりとはりつきわたしを形作る。

夢のハナシ

主人と同じ空間にいる。

ちょっと違和感なのは、彼がピンクのパジャマを着ていることと

彼が可愛がっている男の赤ちゃんが、(彼の)手のひらサイズってこと。

それ以外はいたってふつうに時間が流れている。


ちょっとズボラな主人も垣間見て。

わたしは「相変わらずだなぁ」と思ったりしている。


少ししてわたしは

「じゃあわたし、そろそろ帰るね」

と言った。

主人は 「帰るの…?」 とちょっと寂しそうにつぶやいた。


そこで目が覚めた。


わたし、あちらの世界に行ってたのかなぁ。


強く強く引き留めてほしかったよ。

死別後を生きる19

主人が亡くなった年の年末。

2015年のあの日までは彼はここにいたのに、

来年の、これから先のどこにも主人はおらず、

そんな世界で生きていかなくてはならないことに

言葉では言い表せない思いを抱えて過ごした。


子どもの頃は「新年」を迎えることに粛々とした静かで清らかで明るい気持ちがあって、それは大人になってからもこころのどこかにあったのだけど、死別してからはそんな気持ちもすっかり失せてしまった。

わたしにとっては年末年始も普通の日と同じ。

「あけましておめでとう」という挨拶もしたくなくて、年賀状も早々にやめた。


わたしの一年の区切りは主人の亡くなった日。

毎年祥月命日を迎えるたびに、この一年も生きてしまったんだなと思う。

彼がますます遠くに行ってしまったように感じるが、わたしが少しずつ近づいているともいえるのだろうか。



今年は12月になってちょくちょく泣いてしまう。

日常の中の、ふとした主人の言葉や態度の記憶が蘇り、優しく大事にされていたことを思い出すのだ。


誰もが人生のどこかで愛する人と死に別れる。

だからわたしが特別だとは思っていない。

それでもやっぱり思う。

今はまだそばにいてほしかった。

もう少し体温の感じられる近さにいたかった。