死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

死別後を生きる5

仕事中

主人が生きていた頃と

変わらない自分に気づいた。


『その時』は

わたしの意識の中に

主人はいなかった。

目の前の

やるべきことだけが

そこにあった。



今ここ を生きる。



主人を喪った悲劇に

泣いて悲しむわたし。

二度と会えない辛さに

悶え苦しむわたし。

ずっと悲嘆にくれていたい

と思うわたし。


そのどれもが

主人と死別してから今日までの

わたしの姿ではあったけれど、

少しずつ少しずつ

そのレッテルが

剥がれてきているような

気がする。


初めて味わった

愛する人と死に別れる苦しみが

わたしのこころの奥深くに

沈みこみ

わたしの一部となっていく。


おそらくこれは

形を変えた主人の愛そのもの。

この痛みは

一生消えない。

だから

一生主人と共にいる。


これからは

この痛みを知った者として

生きる。

『悲しもうとする』のは

もう止めよう。


前を向いてるわけじゃない。

上を向いてるわけでもない。

ただ、


そう在ることが

わたしの自然な在り方


そんな気がする。

真実に触れる

http://gangaji.jugem.jp/?eid=159



*いつもスマホから投稿しています。

こちらのブログでは、他のサイトのURLの貼り付けが、

スマホからだとできないようです

(わたしは機械操作が苦手でもありますし💦)

閲覧にお手間をおかけしますが、おゆるしください。

ごめんね

会社の運動会に行くために

赤いジャージの上下に着替える。

その主人に向かって

「〇〇ちゃん(夫愛称)、1度死んでるんだから

2度3度死なないように、無理しないでよ。」

「うん。」

元気のない浮かない表情の主人。


玄関先でハグして

わたしは主人のほっぺに

チュッとする。


抱き合った感触

ほほの皮膚の感覚

リアルに感じているんだけど、

わたし達の間を隔てる

見えない何かがある。


「さみしいね」

「ほんまさみしいなぁ。」


靴が散らばった狭い玄関。

階段の踊り場から

運動会の会場を眺める

主人の後ろ姿。



そこで目が覚めた。



賢明なひとだったから

主人はもう

自分の宿命を受け入れて

今ある姿でそこに在ると

思っていたけれど

(さみしい)

って思っているのかな。


わたしもね

頑張ってるよ。

でも

このさみしさは

そう簡単にはなくならない。

いつまでも

泣いてるわたしを見るのは

切ないかもしれないけれど

まだしばらくは

泣くことをゆるしてほしい。