死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

今日は

久しぶりに

涙が止まらない。


どんなに待っても

どんなに時がすすんでも

頑張って

笑顔で暮らしていても


求めても求めても


もう会えない。


会えない。


涙が止まらない。

思うこと~10ヶ月が過ぎて

あれから季節は一巡して

主人のいなくなった

春がまたやってきた。


職場からの帰り道

とぼとぼと歩きながら、

目に入る景色を

ぼんやりと眺める。


前方に

オレンジの光を放つ夕日。

足元の道端や家々の花壇には

小さな花が咲き始めている。

きっとわたしは今

美しい世界にいるんだろうけれど、

わたしの目に映る世界は灰色で

そんな世界にわたしはぽつんと

取り残されたような気分になって涙が出る。



主人と死別して

子どもを一人前に育て上げる

ということを除いては、

生きる目的も意味も失い

ただただ一日を

なんとかやり過ごしながら生きてきたけれど、

歩いていてふと思った。



生きることそのものが生きる目的なのかなぁ



21世紀の日本にあって

多くの人より数十年早く

伴侶と突然死に別れるという境遇に立たされた。

それでも今日まで

こうして生きている。


大丈夫。

きっとこれでいい。

投げ出す

人生最大の悲しみを経験し

『絶望』の意味を

身をもって知った。

あの日までは

『死』は遠く怖いものだったが

今では近しいものとなり、

ある意味

親しみさえ覚えるようになった。


もちろん

身体に起こるかもしれない

苦痛には、

恐れを抱かずにはいられないけれど

わたしのこころの深奥にあった

死への恐怖は消え去り

皮肉なことに

生きやすくなってしまった。



生きているから生きる。

死ぬなら死ぬで

それは悦ばしいこと。


生命(いのち)のことは

生命にまかせ、

わたしは『今』に在るしかない。