死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

おんなじ

わたしの職場は

高齢者の

集合住宅の一角にある。


そこに住んでいらした

ある御夫婦の奥さまが、

昨年の秋も深まった頃

お亡くなりになった。


お互いを思いやりながら

慎ましく暮らしていらっしゃった。


残されたご主人の

こころの内が

如何様なものなのか…


おふたりで

どのような人生を歩まれ

どのようなお気持ちで

死に別れてしまわれたのか…


わたしにはわからない。


わたしは

このご主人にだけ、

わたしも数ヵ月前に

夫と死別したことを告げた。


とても驚かれ

「頑張ってるんだね」

と、おっしゃった。



たまに

ご主人にお会いする。

お互いに

なんともいえない

微笑みを交わす。


会いたいね


という思いと一緒に。

こころの目

今朝のこと。

子どもが

「お腹が痛い」と。


今日は受験日。

浮かない表情のまま

出かけていく後ろ姿を見送った。

その時。

子どもの肩に腕を回しかけて

寄り添い歩く主人が見えた。

振り返って

わたしに

(大丈夫)

と頷いてみせた。


肉眼で見えたわけじゃない。

でも

思わず涙が出た。


見えるような…気がする。

そう言ってるような…気がする。


五感ではなく

ちゃんと

こころで感じている。


気がする


は、間違いだった。


感じたままが

そうなんだ。

ままならない

自分としては

決して強欲なつもりはないけれど(笑)


これまでの人生で

本当に欲するものは

物であれ

生き方であれ

ほぼ

手に入れてきたと思う。


こころから願う物事に対しては

それが手に入る可能性がある限り

諦めない。

うてる手はうつ。

でも、

万策尽きたなら

諦める。


そんな姿勢を

知らず知らずのうちに

子どもに

押しつけてしまっていたかも…


子どもが少し苦しくなって、

それでわたしも

ちょっと凹んでいます。


こんな時、今までだったら

主人に相談していたのに


できない⤵



主人の突然の死には

わたしは何の手も

施すことはできなかった。


万事休す


じゃ、

諦めなきゃ…



なかなかそうできないことも

あるんだよね。


こころが

こんなに傷ついた後だから

なおさら

守りに入りたくなるよね。