死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

2015年5月2日

朝、子ども達より一足早く家を出て

単身赴任先に戻っていった。


今月はまた、26日に会えるからね。

(研修のために帰ってくる予定だった)


家の前 3人で主人を見送った。

主人はいつものように

角を曲がるときに振り返り、

大きく手を振った。

わたし達も(手を)振りかえした。


見送る度に一抹の淋しさを覚えつつ


さっ!また今日からしばらくは

3人でガンバロー!


と気持ちを切り替えるいつもとちがい、

今回は


またすぐに会えるね♪


というしばしの別れのはずだったのに…


26日に主人が帰ってくることはなかった。



去年の今日。

去年の今日…

父親

子ども達がものごころついてから

家族4人で暮らした期間は

5年もあっただろうか…

単身赴任で

離れていることが多かったので、

主人が子ども達と触れ合う機会は

ほんとうにわずかだった。


それでもふたりとも

お父さんが大好きだった。

お父さんが帰ってくる日を

みんなでこころまちにしていた。



11回目の月命日だった先日、

子どもとこんな会話をした。


「お父さんと一緒にいた時間が短かったから

これから大人になるにつれて

お父さんがどんな人だったか~こまかいことは

忘れていっちゃうだろうね。」


「大丈夫。海馬に張りつけてる(笑)」


「🐶(下の子)にとって、お父さんってどんな

ひとだった?」


「…欠けたところがない。」


ボキャブラリーの乏しい🐶だけど、

この短い言葉に

お父さんへの

ありったけの尊敬と愛がこもっている。


100点満点のお父さんでした。

死別後を生きる7

大ケガを負ったのと同じ。

当初は

傷から血が吹き出して

止まらなくて

ズキズキズキズキ

痛くて痛くてどうしようもなくて。


少しずつ傷口が

かさぶたで覆われて

でも何かの拍子に

そのかさぶたが剥げて

また血が出て


その繰り返しの間もなく一年。


血の出方は涙の出方。

大泣きすることはなくなったけれど

相変わらず

じわじわと涙がこぼれる。

鋭い痛みが

鈍い痛みに変わっただけで

たしかに傷はまだここにあるのに


それでも

この身を起こして

子ども達と生きていくために

役所を廻り

交渉をし

何事もなかったかのような顔をして

仕事をした。



主人と同じような最期であった

芸人さんのニュースも

友だちがするご主人の話も

普通に聞いてきた。

ある意味そうできたことは

楽ではあったけれど

わたしにあった人間らしい感情が

失せてしまったようにも思う。


記憶というデータを搭載した

ロボットのように

一歩外に出れば

過去のわたしがわたしを動かす。



ほんとうは

瀕死の重傷を負って苦しんでいる。

それでも

骸(むくろ)になりきれず

何度も目覚める。


このうえなく悲しい。