前ではなく上へ
たまにこのブログの過去記事を読む。
先日もふと思い立ち
(1年前のわたしはどんなだっただろう…)
と振り返ってみた。
苦笑…
変わってない。
同じところを行ったり来たり?
あるいは
ぐるぐる廻ってる?
いつもブログには
その時どきに「書きたい!」と強く感じた自分の思いを綴ってきた。
うちひしがれたまま生きていこうとか
前向きにならなきゃとか
何かしらの意志をもってここまできたつもりは(今この瞬間は)ないけれど、
それでも
このまま哀しみの中で生きていく(生きていきたい?)自分に囚われることもあって、
時折、主人と死別した『このわたし』の『在り方』に戸惑ってしまうことがある。
わたしは強い(笑)
強くいられるのは、元来の気性と
恵まれた環境~
主人が亡くなってすぐにたまたま知り合った少し年上の女性が、未亡人だった。
(それから彼女とは友人になった)
これまで知らなかったけれど、職場の仲間にも、境遇を同じくする人がいた。
さらに、仕事を通して出会った2-3人のご高齢の方は、20~30年前にご主人と死に別れていらっしゃった。
そして、ブログで知った死別経験された方々。
どの人もそしてわたしも
そんな哀しみを抱えて生きているとは、傍目には思えないほど、ふつうに生きている。
だから
わたしだけじゃないんだな…って励まされ、
今目の前で笑っているあちらこちらの人も、
実は大きな苦しみや哀しみを携えて生きているのかもしれない
と思えるようになった。
死んでしまったのは主人の身体だけだということもわかっている。
~そんな中に『在る』身体をもった『わたし』は、ついつい押し寄せるさまざまな感情~空に次々と流れる雲のような~に身を委ね、あたかもそれ(雲)が自分自身であるかのように錯覚してしまうけれど、
哀しみは哀しみとして
哀しみに引きずられることなく、
勇気をもって、雲の上の明るい空がわたしであったのだと、全身でわかりたいと思う。