死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

悲嘆

主人と死に別れてすぐの頃

わたしは

誰かにこの辛さをわかってほしかった。

慰め

助けてほしいと思っていた。



「言葉がない…」

多くの人が口にした。


こころの理を深く学んだ人は

わたしの話を静かに聞き、

おそらくわたしより

もっと辛い死別をされた方の

話をしてくれた。


一緒に涙し

わたしのこころに寄り添ってくれた

人との会話は、

間もなく

まるでわたしのことはなかったかのように

自分の日常の中に起こる

悩み事に変わった。


「お茶しましょう」

と声かけてくれた優しい人から

お茶の誘いはなく

「支えるから」

と言ってくれた人からは

以来、何の連絡もない。


年賀状だけの

おつきあいとなっていた人たちの幾人かは

ただただ静観の様子。



これはぜーんぶ愚痴。

わたしは

期待外れの

悼み方、慰め方に

勝手に傷ついた。

そもそも体験なくして

死別の辛さを

理解することなどできないということに

自分が気づいてから、

わたしは

わたしがこころの中で

勝手に責めていた人たちを

こころの中で勝手にゆるした。


彼らは

わからないだけなんだ。

そしてわたしは

彼らがわからないことが

悲しかっただけなんだ。



死別は悲しい。