死別していなかったら 今日はどんな一日だっただろう
死別して3年が過ぎたばかりの頃、
わたしは上司の誘いを受け、
新しい職場・仕事にチャレンジすることにした。
死別という大きな大きな変化の後、
今度はこういうこと(転職)がわたしに起こり、新たな道を進む時がきたのだと、
このうねりに素直に乗っかろうと踏み込んだ一歩だった。
ところが、だ。
それまでのわたしの職歴・経験だけでその仕事に臨むには荷が重すぎ、プレッシャーにこころが耐えられずあっという間に退職した。
半年後、今度は保育園で勤め始めた。
小さな子ども達と過ごす日々は楽しくもあったが、身体的にハードワークだった。
なにより園を運営する法人に最初から不信感を覚えてしまい、長く勤められる職場ではないと考えてここも半年で辞めた。
その年の冬、もう一度保育園で頑張ってみたいという思いが湧き、会社と仕事内容をよくよく確かめて就職した。
この園で自分が果たせる役割のビジョンがあり、安定した十分な収入を得ることができる、今後を明るく見通せる職場だった。
だのにまたもや…
自身で仕事に対する責任を重く感じ過ぎ、こころが不安で一杯になって、ある朝ベッドから身体を起こすことができなかった。
退職という選択しかできなかった。
完全なるノックアウト。
再起できない。
わたしはこんなに弱くはなかったのに。
自分が残念で仕方がなかった。
あれから一年が過ぎ、最近やっと重い腰が上がって就活してみたが不採用。
子ども達への心配は常にあるが、ふたりとももうあれこれ世話をされる必要はなく、
むしろわたしが子離れして自立を促していかなければならない年。
妻でもなく
母としての役割は薄れ
社会人としても成り立たない自分。
見方を変えれば甘えたボヤキなのだろう。
だから、こんな風にしか生きられない自身に、幾ばくかの罪悪感もある。
ただ生きているだけの存在。
何者でもなくなりつつあるわたし。