死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

死別していなかったら 今日はどんな一日だっただろう

死別して3年が過ぎたばかりの頃、

わたしは上司の誘いを受け、

新しい職場・仕事にチャレンジすることにした。

死別という大きな大きな変化の後、

今度はこういうこと(転職)がわたしに起こり、新たな道を進む時がきたのだと、

このうねりに素直に乗っかろうと踏み込んだ一歩だった。

ところが、だ。

それまでのわたしの職歴・経験だけでその仕事に臨むには荷が重すぎ、プレッシャーにこころが耐えられずあっという間に退職した。


半年後、今度は保育園で勤め始めた。

小さな子ども達と過ごす日々は楽しくもあったが、身体的にハードワークだった。

なにより園を運営する法人に最初から不信感を覚えてしまい、長く勤められる職場ではないと考えてここも半年で辞めた。


その年の冬、もう一度保育園で頑張ってみたいという思いが湧き、会社と仕事内容をよくよく確かめて就職した。

この園で自分が果たせる役割のビジョンがあり、安定した十分な収入を得ることができる、今後を明るく見通せる職場だった。

だのにまたもや…

自身で仕事に対する責任を重く感じ過ぎ、こころが不安で一杯になって、ある朝ベッドから身体を起こすことができなかった。

退職という選択しかできなかった。



完全なるノックアウト。

再起できない。

わたしはこんなに弱くはなかったのに。

自分が残念で仕方がなかった。



あれから一年が過ぎ、最近やっと重い腰が上がって就活してみたが不採用。

子ども達への心配は常にあるが、ふたりとももうあれこれ世話をされる必要はなく、

むしろわたしが子離れして自立を促していかなければならない年。


妻でもなく

母としての役割は薄れ

社会人としても成り立たない自分。


見方を変えれば甘えたボヤキなのだろう。

だから、こんな風にしか生きられない自身に、幾ばくかの罪悪感もある。




ただ生きているだけの存在。

何者でもなくなりつつあるわたし。