着古した服のように
毎年夏に着る、薄紫色のカットソーと
グレーのギャザーたっぷりのフレアースカート。
カットソーはコットンで柔らかく、身体に優しく馴染んでほんとうに気持ちいい。
スカートは麻。わたしの膝よりほんの少し長め。
足さばきがよくて、素材の善さであろう、さらりとして涼しい。
この2アイテムを買ったのは、たぶん10年以上前。
バーゲン前に、あるブランドショップで見つけた。
一見シンプルで、どこにでもありそうな品。
でも値段が…高い💦
バーゲンまで待てば…
だけど、他の誰かに持っていかれてしまったら…
葛藤の末、定価で購入した。
以来、夏には欠かせない、登場回数ダントツ一位のお気に入りになった。
ゆえに色は褪せ褪せ、質感もくたくた。
それでも昨夏までは、着心地のよさを求めて何度となく着用した。
ところが今年はほとんど着ていない。
なんとなく
なんとなく…
今のわたしには必要なくなったような、
似合わなくなったような、
そんな違和感を感じて、袖を通さなくなった。
「長い間ありがとう。大好きだったよ。」
そう言って、この夏でお別れしようと思っている。
今年の祥月命日の前後は、3年前のあの痛みが呼び覚まされたようだった。
辛くて辛くて悲しくてたまらなかった。
久しぶりに大泣きした。
7月には転職→あっという間の失業。
すさまじい嵐から3年。
やっと静かになりかけた海がまた少し荒れて、
またもやわたしの舟から
馴染みのある
愛着のある
なかなか手放せないと思っていたものが、
去っていった。
そのひとつが
『夫を喪った悲しみ』
であることに気づいた。
これからも、あのたまらない悲しみを思い出し、その思い出に涙することはあると思う。
でも、『今ここにいる』わたしが、
「主人が亡くなって悲しい」という言葉を発するのは(何かちがう)感じがする。
今、わたしの目の前に立ち込めていた分厚い黒い雲が流れ行き、雲が途切れつつあるのがわかる。
わたしは雲ではなく、空だった。
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わたしのこの拙いブログをお読みくださっていたみなさま。
ありがとうございました。
この『死別後を生きる』というタイトルも、しっくりこなくなりました。
これでこのブログはおしまいにします。
さまざまな状況や立場・心情の方が読んでくださっていたと思います。
時にはブログの内容や表現に嫌な思いをされたかもしれません。
どうかおゆるしください。
最後に、愛と感謝を送らせていただきます。
さんじゅうし