死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

最後の贈りもの

「〇〇ちゃん(夫愛称)は、わたしの歩く打出の小槌だよね。」

「もう何も出ぇへんで。出しすぎたわ。」


亡くなる2日前の、いつもの夫婦の会話。

出会ってから25年余りの間に

主人はわたしに物心両面、

ありとあらゆるものを与えてくれた。

わたしはほんとうに満たされていて、

こころの底から(幸せだなぁ)

って思ってた。


そしてあの日。

わたしのこころは打ちのめされた。

言葉では表せない

体験者でなければわかりようのない

深い深い悲しみと淋しさと絶望との

日々が始まった。


わたしは

できれば知りたくなかった『これ』を

知ってしまった。

知らずにいたかった。

でも…


『これ』は

わたしの内側を暗く深く静かに彩る

この上ない悲しい色。

わたしは

いつかどこかで誰かに

(その色知ってるよ)

って、寄り添える人になってしまった。

悲しいけれどまたひとつ

わたしは豊かになったのかもしれない。



『これ』が主人からの

最後の贈りものだったのでしょう。

花開く

玄関の花瓶に活けてある一輪の百合には

5つ6つとつぼみがついてて、

それぞれが絶妙なタイミングで

花開いていく。


ひとつが誇らしく芳しく咲き

少しの間そこにあって

やがてしぼみ始めると、

次のつぼみがゆっくりと開き出す。


そんな花開かせる力と同じ力が

主人を連れていったのだと思う。

抗いようのない大きな力の前に、

ちっぽけなわたしは

ただただ泣きながらひれ伏すしかない。


淋しくて淋しくて

辛くてしかたないけれど、

でも不思議と

これが自然なのだとも思ってしまう。

生木を裂かれるように

突然の雷(いかづち)が

いっぽんの木をふたつに裂いた。


裂けた半分は

あっという間に地面に倒れ

土に還ろうとしている。

倒れなかった半分は

むき出しになった木肌から涙を流し

痛みを堪えながら

半分になった根っこと

そばに立つ2本の若木に支えられ

なんとか倒れないように立っている。


わたしは

生木を裂かれたような別れを

経験してしまったんだな。