死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

もう、いいでしょ?

主人が亡くなって以来、3年ぶりにかつての職場の同期ふたりと会った。

大切な友だち。

でも、3年もたつと容赦ない(苦笑)


「3年か~。どう、まだ淋しい?」から始まり、冗談混じりの再婚話、50代で急死したという知人の死に「早いよね~」とコメント(ちなみに、主人は40代で逝きました)、その方の奥さまの喪主としての挨拶に感じ入ったという話…


これは普通にある世間話。

わたしは主人と死別して、

伴侶を喪うということは、言葉や音楽・美術…この世のどんな表現方法を使っても、表しきれるものではないと実感しているから、彼女らがこれを理解できないのは当然だと思っている。

ただ、そうは言っても、ふたりと相容れない世界の住人になってしまったことは哀しい。

こういう場面では、わかってもらえることを期待せずに、それでもわたしの正直な気持ちをわたしの言葉で伝えている。

相手も困惑してしまうかもしれないけれど、そうすることが、わたしの彼女らに対する友人としての誠意だと思っているから。



あの日から、こんな風に頑張って生きてきた。

たまーに強烈なパンチをくらい、ブスブスとボディーブローを打ち込まれながら、それでも倒れずに今日まできた。

でも、そろそろ限界。

ほんとうにほんとうに、疲れたよ。


疲れちゃった…

叫び

会いたい

会いたい

会いたいよ


ほんの少しの時間でいいから

帰ってきて

わたしに会いに帰ってきて


お願い

消化試合

勝ち負けはおいておいて。


すでに決着はついている。


だから

残りの人生は

いかように生きてもいい。



今日は3回目の祥月命日。



あの日から

わたしの意思の働かないところで

身体とこころが勝手に生き続けている。

だからわたしは笑う。

ほんとうのわたしは泣いているのに。


本質はもう終わっている。

わたしも死んでいる。


あとはなるようになればいい。