主人と同じ空間にいる。
ちょっと違和感なのは、彼がピンクのパジャマを着ていることと
彼が可愛がっている男の赤ちゃんが、(彼の)手のひらサイズってこと。
それ以外はいたってふつうに時間が流れている。
ちょっとズボラな主人も垣間見て。
わたしは「相変わらずだなぁ」と思ったりしている。
少ししてわたしは
「じゃあわたし、そろそろ帰るね」
と言った。
主人は 「帰るの…?」 とちょっと寂しそうにつぶやいた。
そこで目が覚めた。
わたし、あちらの世界に行ってたのかなぁ。
強く強く引き留めてほしかったよ。
2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様
主人と同じ空間にいる。
ちょっと違和感なのは、彼がピンクのパジャマを着ていることと
彼が可愛がっている男の赤ちゃんが、(彼の)手のひらサイズってこと。
それ以外はいたってふつうに時間が流れている。
ちょっとズボラな主人も垣間見て。
わたしは「相変わらずだなぁ」と思ったりしている。
少ししてわたしは
「じゃあわたし、そろそろ帰るね」
と言った。
主人は 「帰るの…?」 とちょっと寂しそうにつぶやいた。
そこで目が覚めた。
わたし、あちらの世界に行ってたのかなぁ。
強く強く引き留めてほしかったよ。
主人が亡くなった年の年末。
2015年のあの日までは彼はここにいたのに、
来年の、これから先のどこにも主人はおらず、
そんな世界で生きていかなくてはならないことに
言葉では言い表せない思いを抱えて過ごした。
子どもの頃は「新年」を迎えることに粛々とした静かで清らかで明るい気持ちがあって、それは大人になってからもこころのどこかにあったのだけど、死別してからはそんな気持ちもすっかり失せてしまった。
わたしにとっては年末年始も普通の日と同じ。
「あけましておめでとう」という挨拶もしたくなくて、年賀状も早々にやめた。
わたしの一年の区切りは主人の亡くなった日。
毎年祥月命日を迎えるたびに、この一年も生きてしまったんだなと思う。
彼がますます遠くに行ってしまったように感じるが、わたしが少しずつ近づいているともいえるのだろうか。
今年は12月になってちょくちょく泣いてしまう。
日常の中の、ふとした主人の言葉や態度の記憶が蘇り、優しく大事にされていたことを思い出すのだ。
誰もが人生のどこかで愛する人と死に別れる。
だからわたしが特別だとは思っていない。
それでもやっぱり思う。
今はまだそばにいてほしかった。
もう少し体温の感じられる近さにいたかった。
先日から「冬のソナタ」をDVDで鑑賞している。
NHKで放送されていた当時、友人に勧められて見始め、わたしもすっかりドラマの世界にはまってしまった。
たしか夜11時頃から放映されていて、
テレビの前でクッションを抱えてひとりで見るのが好きだった。
主人とは一緒に見たくなかったし、主人も見たいと思ってもいなかっただろう。
だからさっさと床についていたのだろうが、
「(ドラマが)終わるまで帰ってきませんように」と思っていたことを思い出した。
そんな遅くまで仕事をしていることも普通にあった。
ドラマが終了したのが淋しくて、誕生日だかクリスマスのプレゼントにDVDセットをねだってみた。
全巻揃えると3万数千円。
結構な額だ。
でも、主人はわたしの願い通り贈ってくれた。
今 見ているのがそのDVD。
15〜16年前だっただろうか。
雪の積もった寒い日、主人がそこそこ重さのある電気ヒーターを買って歩いて持ち帰ってきた。
「エアコンもガスヒーターもあるのに、収納のことも考えずにそんなの買って」
とわたしは不満を漏らした。
それに対して主人も何か思うことを口にしたのかもしれないが、わたしの記憶にはない。
その電気ヒーターはちょっと暖まりたい時に重宝して、今年も活躍してくれている。
この話を子どもにしたら
「お父さん、お母さんが反省してくれて喜んでるよ」
と言われた。
わたしは反省してるのではなく
あんなこと言わなきゃよかったと後悔しているのでもなく、ただ主人の温かさと優しさがこころの中にじわじわ〜と蘇ったのだ。
彼はいつもわたしの願いを叶え、どんなわたしも否定せず黙って受け容れてくれていた。
冬のソナタでは、主人公は亡くなったと思っていた愛する人と再び巡り会えた。
生きていれば…生きてさえいればいつか会えるかもしれない。
でも、わたしの主人は間違いなく死んだ。
だからもう会えない。
今年の冬も、彼が残してくれたぬくもりにすがって生きていく。
涙がこぼれる。