死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

死別後を生きる6

主人が逝ってから、

暮らしの中にある

他愛のない出来事や

聞いてほしいこころの内を

口にすることが少なくなった。


それらが澱のように

こころの奥底に

溜まり

沈みこみ

からだを重くして

動けなくしてしまう。


言葉にならない思いが

涙となって滲み出る。


辛い辛い『今』の連続。

描く自分自身の未来はない。

子ども達を社会に送り出す

ただそのことのためだけに生きている。


これがわたしの人生なら

こうやって生きていくしかないのだろう。

でも

これを頑張って乗りきった暁には


もう二度と生まれてこない


強くそう思う。


わたしの人生は

絶望という色に塗りつぶされた。

もう十分だ。生きるのは。




こうやって

行きつ戻りつしながら

わたしは

死別後を生きている。

今日は

久しぶりに

涙が止まらない。


どんなに待っても

どんなに時がすすんでも

頑張って

笑顔で暮らしていても


求めても求めても


もう会えない。


会えない。


涙が止まらない。

思うこと~10ヶ月が過ぎて

あれから季節は一巡して

主人のいなくなった

春がまたやってきた。


職場からの帰り道

とぼとぼと歩きながら、

目に入る景色を

ぼんやりと眺める。


前方に

オレンジの光を放つ夕日。

足元の道端や家々の花壇には

小さな花が咲き始めている。

きっとわたしは今

美しい世界にいるんだろうけれど、

わたしの目に映る世界は灰色で

そんな世界にわたしはぽつんと

取り残されたような気分になって涙が出る。



主人と死別して

子どもを一人前に育て上げる

ということを除いては、

生きる目的も意味も失い

ただただ一日を

なんとかやり過ごしながら生きてきたけれど、

歩いていてふと思った。



生きることそのものが生きる目的なのかなぁ



21世紀の日本にあって

多くの人より数十年早く

伴侶と突然死に別れるという境遇に立たされた。

それでも今日まで

こうして生きている。


大丈夫。

きっとこれでいい。