死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

わたしの中の黒①

ある出来事がきっかけで、

主人を喪った悲しみの涙が

一変

主人への怒りからくる

悔し涙に変わってしまった。


一生消えることのないと思っていた

胸の傷は瞬く間に癒え、

主人に対する『仕返し』の

エネルギーが

こころの内に満ち満ちた。


深い深い悲しみや絶望が

怒りに変わる瞬間を

わたしは自分の内側に

見てとった。




わたしは魂(と呼ぶのが適切かどうかわらかないが)

はあると思っている。

肉体は滅んでも、

魂は永遠だと思っている。

あらゆる宗教や哲学や思想は

脇に置いておいて、

理由も根拠もないが、

とにかく『在る』。


だから、主人のことは

何も心配していない。

主人という肉体が

その生命活動を終えたというだけで、

主人は主人であった前の状態に

本来の姿に

戻ったんだと思っている。



主人の死後

わたしが流した涙のほとんどは

(主人がかわいそう)

という思いよりも

『あの』言葉にならない痛みが

辛くて辛くて泣いていた。


こんなに深い傷を

わたしに負わせた主人に

実は

激しい怒りを感じていた。


こんな風に死に別れることを

ひどい裏切り行為だと

思っていた。


わたしの主人に対する怒りの感情は

自分が自覚していた以上に

大きかったことに気づいた。

今日で終わり

わたしが

悲しみのどん底にあったとき

してもらってうれしかったこと

こころの中で望んでいたけれど

してもらえなかったこと


その両方を

悲しみのどん底にある人に

わたしは

してあげられる人になろう。


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9回目の月命日を過ぎた頃から

急に泣くことが減りました。

自分でも不思議です。


今日は子どもの卒業式でした。

こうしてうれしいことがあっても、

主人がもういないという

現実を突きつけられて

これからもずっと

喜びと悲しみを

セットで味わっていかなければ

ならないんだろう…

そう思っていましたが、

実際はそうではありませんでした。


主人はわたしを通して、

わたしと同じ経験をしているのです。

おそらく子どもを通して、

子どもと同じ経験もしているのだと思います。


生きていた頃よりも

もっと近しい関係になったような

気がします。


会いたい気持ちに

今も変わりはないし、

この先もまた

淋しくて辛くて

悶え苦しむこともあるだろうけれど、

そんな時は


わたし達は

決して離れていない


ここに立ち返ろうと思います。


わたし達は

決して離れていない


なんの根拠もないけれど

これは

わたしの中で確信したこと。


胸の痛みは

一生痛いままでいい。

なぜならこの痛みは

わたしの人生に

主人という

素晴らしい存在があったという証だから。


わたしは今日

『悲嘆者』

という自分を

卒業しようと思います。


そして

主人との死別で得た

おおきな愛を

与える人になれるよう

自分をシフトさせて

いきたいと思います。

無題

目覚めるたびに

絶望する。

こうして始まる一日。


自分の死が

希望と化すほどの

真の絶望を経験すると

世の中の大騒ぎの多くが、

わたしにとっては

どうでもよいことだと気づく。


わたしは今、

波風のたたない

海の奥深くのような

静かなところにいる。