死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

わがまま

もうずいぶん前

自分自身に悩み

『ほんとうのわたし』

を探し求めて

精神世界やスピリチュアルをさまよった。

そうしてぼんやりとだが

その答を見出だした矢先

主人が亡くなった。


わたしは若くしてこの世を去った主人を

『かわいそう』だとは思っていない。

もちろん、

彼なりに描いていた将来はあって

それらを経験することなく

この世を去っていかねばならなかった

無念さはあったはず。

けれども

わたし達のちっぽけな頭では

考えもつかないような

無限の生命の営みの一部分としての

主人の人生は

あそこで終わりを

迎えるようになっていたのだとも思っている。

満開の桜が

時機がくれば散っていくように。


主人の死に対しては、

わたしの中で

さまざまな思いが浮かぶけれど、

結局

(こういうことだったんだ)という

思いに帰着してしまう。


『立つ鳥あとを濁さず』

という表現がぴったりと感じるほど、

主人が立ち去ったあとは

きれいに整えられていた。

この日のために

出来る限りの用意がなされていた。


でも…

主人は気づいてくれただろうか。

自分がわたしの残りの人生をも

一緒に持ち去ってしまったということを。

気の強いわたしが

いまだに涙するような

悲しみを与えてしまったことは、

優しかった主人にとっては

誤算だったんじゃないだろうか。


わたしのこの辛さも悲しみも

いつか必ず終わる日がくることを

わたしは知っている。

この痛みを知ったことで、

わたしの人生に

深みがもたらされたのも事実。

それでも

『絶望の中で生きる』

という経験は

やっぱり重く辛すぎる。


だから〇〇ちゃん(夫愛称)

せめて

わたしが泣いている時は

一緒にそばで泣いてほしい。


わたし達は夫婦なんだから。

お別れ

朝方見た夢



主人とわたし

『ハ』の字になって横になっている。


わたしは目を閉じたまま

「もう行っていいよ」


「じゃ、行くわな。ありがとな。」


主人がわたしをいとおしそうに

見つめているのがわかる。

閉じたまぶたから

涙がじんわりとこぼれる。


そして

優しいキス。



目を開けると

主人のいない世界に

また戻ってきていた。

死別後を生きる6

主人が逝ってから、

暮らしの中にある

他愛のない出来事や

聞いてほしいこころの内を

口にすることが少なくなった。


それらが澱のように

こころの奥底に

溜まり

沈みこみ

からだを重くして

動けなくしてしまう。


言葉にならない思いが

涙となって滲み出る。


辛い辛い『今』の連続。

描く自分自身の未来はない。

子ども達を社会に送り出す

ただそのことのためだけに生きている。


これがわたしの人生なら

こうやって生きていくしかないのだろう。

でも

これを頑張って乗りきった暁には


もう二度と生まれてこない


強くそう思う。


わたしの人生は

絶望という色に塗りつぶされた。

もう十分だ。生きるのは。




こうやって

行きつ戻りつしながら

わたしは

死別後を生きている。