メモ
終わらせたこのブログだけど。
2018年がまもなく終わる今日、
ふとこころに浮かんだ思いを、わたしのために記録にしたくて、ここに記してます。
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死別後を生きるということ。
表現が適切でないかもしれないけれど、
人生の途中で、身体の一部を失った人が、さまざまな葛藤と闘い、苦しみながら、それでもその事実を受けとめて生きている…そんな姿に似ていると思う。
わたしは、心臓がちぎれたまま生きてきた。
半分の心臓では生きていられるはずがないのに、それでも三年余りを生きてきた。
だから、生かされているとしか思えない。
わたしの意志とは無関係にこうして生きているということは、
わたしの考えも及ばない力が働いているとしか思えない。
わたしは何の宗教も信仰していないけれど、
イエスの
「主よ、御心のままに」
という言葉の意味がわかるような気がする。
わたしは
わたしがわたしだと信じているわたしに執着することを諦めなければならないのだろう。
夫を喪くして淋しく思う『わたし』はおらず。
ここにあるのは、『淋しさ』だけ。
『この淋しさ』を具現化したものが今のわたし。