死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

神さま、あなたの御心のままに

シャンシャンの観覧。

3度抽選に応募したけどハズレ。

エリック君の本のプレゼントもハズレ。


当たりかハズレのどちらかだけど、

わたしは主人からのプレゼントを待っていた。

でも、そーゆーことはないのね。



…で、本は買って読みました。


『死は終わりではない』


きっとこころの深いところにある傷が

癒されるだろう、

スピリチュアル(←という言い回しはあまり好きではないけれど)な理解が深まるだろう、と

思いつつ…



わたしは主人が亡くなる前から、

身体は死んでも、わたしーわたし達すべて、生きとし生けるものの本質はずっとあると思っていたし、神・宇宙・真我…呼び方はなんであれ、いわゆる大いなる生命のほんの一部がわたしでありあなたであり、わたしやあなたがなければ、全体が成り立ち得ないと思っている。


主人が逝ってしまってからは、ますますそう思うようになった。

だから、

本の中でエリック君が語る死後の世界はすんなり受け入れられるし、元アメリカ人だった彼が馴染みやすい場が創造されるんだろうな、と勝手にイメージしたりもした。

この世は二極の世界。

陰と陽・黒と白・喜びと悲しみ…

これらのコントラストを身体とこころで経験する。

あちらの世界は、圧倒的な愛と平和に包まれた幸福しかない美しすぎる世界。

身体がないから食べたり寝たりする必要はないし、思考が瞬時に形作られるから、不自由することなんかない。


そんな世界でエリック君は、スピリットガイドとなって、『苦しんでいる人間』をサポートしてるらしい。

彼は人間だった頃から人を助けるのが好きだったので、今はこういう仕事ができて幸せだそうだ。

そうして生きてる頃に彼が抱えた病や苦しみ、それ故に彼が自らこの世を去ってしまったこと全て、スピリットガイドとなる使命を担うために必要な経験だったそうだ。


…そうなんだろうね、と思う。

でもね。わたしも人を助けるのは好き。

実際今もそういう仕事に就いてるし。

エリック君がスピリットガイドとして活躍するには、こっちで『苦しむ人間』が必要だよね。


読み進めていくうちに、癒されるどころかだんだん腹がたってきて(笑)、心底生きてることが馬鹿らしくなってきた。

あちらの世界はとにかく素晴らしいらしい。不安のない世界の住人なら、なんの障害もなく使命を果たしていけるだろうから、さぞかし楽しいだろう。


(シャンシャンの抽選に当てて)というわたしのエゴが望むこんなちっぽけな願いごとすら(←しつこい(笑))叶わないし、

宇宙からすれば、当たっても当たらなくてもOKなんだから(どちらかを経験できるわけだし)~もっと言えば、どちらの結果も歓びでしかないんだろうから…


そんな風に考えてたら、ネガティブな思いから、


頑張るのはやめよう


と思った。

どうにでもなればいい。

わたしはわたしの(全体の一部としての)人生を全うするよ~一部であるわたしの願いは、叶うかもしれないし叶わないかもしれないけれど~でももう、人生に期待するのは止めて、身体が死ぬ日まで、粛々と淡々と目の前に起こる業務?学び?をこなしていくわ、


とめちゃくちゃ投げやりな気持ちで読み終えました(笑)



※だらだらとした長文をお読みいただき、ありがとうございました。