死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

納得

本は全く読まない。

テレビもたいして見ない。

スマホで

ほんの気持ちネットニュースをのぞき、

あとはsnsやゲームを楽しんでいる(んだと思う)

故に

哲学や宗教・精神世界という分野さえ

ろくに知りもしないはずの下の子🐶


その子が主人の死について、

こう言ったことがある。


「お父さんは、神様の試験に合格したんだよ。

あの日、『はい、試験時間終了!君は合格!』って

上げてもらえたんだよ。」




人生の最期に大きな大きな仕事を達成した。

職場の同僚・部下の方々と共に撮った

その記念写真の彼の表情は、

疲労の後の安堵と

十分にやりきったという

この上ない満足したもので、


(この人生では)ここまでの仕事だったんだな


と、思わせてしまうほどいい顔をしていた。


だからわたしは

主人のことをちっとも可哀想だとは思ってない。

(ちょっと、詰めが甘くて残念だった

とは思っているけれど)


そうして『今』は、

みんながいつかは行きたいと思っている

天国?極楽浄土?にいて、

そこでわたし達を『見て』いる。


今週、わたしは不覚にも!

インフルエンザで寝込んでしまった。

思った以上に辛かった。

何度も主人の名前を呼んだけど、応答なし。


あれこれと助けてくれたのは上の子🐻

心安く休むことをゆるしてくださった上司と同僚

「できることは何でもするから遠慮なく言ってね」とメッセージをくれた友だち


あの世の人がこちらのことに何かと手を出すのは

きっとルール違反。

この世のことはこちらの人で

助け合って励まし合って頑張るしかないのだと

わたしは思っている。



日々お互いに様々な感情が渦巻く中で、

どれだけ目の前の相手に愛を注げるか。

この世の中に対し、

いかに自分という愛を与えることができるか。


主人は生まれて来るときに

身体いっぱいに蓄えていた愛を

この短い人生で出し尽くしたんだと思う。

彼の人生を振り返るとそう思う。


だから


「はい、合格」