死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

総括~あの日から今日までを振り返って

主人が亡くなったという知らせを受けた時

わたしはその場に居合わせた友人に

「いつかこんな日がくるんじゃないかと

思っていた。」

と呟いた。


数年前から

主人が亡くなったまさにその年に

わたしは自分が死ぬのだと

漠然と思っていた。


主人が単身赴任先に戻る別れ際は

いつも

(これが最期かも)

という思いがこころに小さく浮かんだし、

共白髪になるまで

ふたり一緒に生きているイメージも

なかったように思う。



主人の死という出来事を前にして

(わたしには『これ』が来たんだな)

と思った。

不思議と素直にそう思えた。


だから

亡くなったことに対し

主人には甘えて

いまだに悪態をついてしまうけれど、

神や仏や他人を恨んだり

羨んだりする気持ちはほとんど湧かない。


たしかに

この年で伴侶と死別するという経験は

ありふれたものではないけれど、

世間をみわたせば

わたしのような人はごまんといる。



世界には数多(あまた)の苦しみがある。


わたしが考えも及ばないような

想像すらできないような苦しみを抱えて

今日を生きている人がいる。


そして

わたしの今日も苦しい。

辛さが身体中に充満して

生きていることがほとほと嫌になる。


わたしが知っているのは

苦しみの中のほんの一部。

でもわたしは


苦しみがわたしではない


ということも知っている。


だから今日まで

この身体で生きてこれたのだと思っている。