死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

マグマ

愛しさとは裏腹に

こんなにも

沸沸と煮えたぎるような

激しい怒りを抱えて

今日まできたことに改めて気づいた。


寿命だったと理解している一方で

あまりにも呆気なく

忽然と

わたしの前から姿を消したことに

憤りを感じている。


心筋梗塞と思われる突然死だったけれど、

主人の死後

ぽつぽつと

漏れ聞こえてきた話によれば

少なくとも亡くなる半年ほど前から

胸部症状はあったようだ。

わたしにも義母にも

一切それを言うことなく逝ってしまった。


知ってか知らずか

遺されたわたし達が困らないように

できるだけの用意はなされていたが

わたしとしては

後のことすべて

丸投げされた感じが否めない。


なにより

こんなにも鮮やかに冷酷に

ひとり旅立っていくことで、

どれほどの傷を

わたしに負わせたのか

わかっているのだろうか。


わたしの中にはずっと

主人に突然斬りつけられたような

感覚がある。




わたし達は

仲のよい夫婦ではあったけれど、

それでも20年余りの結婚生活の中で

2~3度離婚を考えたことがある。

そのうちの1回は真剣に。

愛情と信頼で

いっしょに築いてきた城を

主人は無邪気に壊してしまう。

その度に傷つき泣きもしたけれど、

わたしは赦し

誠実に向き合ってきたつもりだった。



見てはいると思う。

でも

守ってはいない。

癒そうとも救おうともしない。

ただ黙って見ている。


だったら。


わたしが歯を食い縛り

苦しみながら生きる姿を

ずっと見ていたらいい。

素直に喜びを享受し

こころから笑うことのない

わたしの余生を

じっと眺めていたらいい。


これがわたしの人生ならば

甘んじて受け容れよう。

でももう二度と

主人と人生は共にはしない。

わたしがわたしの一生を

生ききった瞬間(とき)が

わたし達のミッション終了の時。



この

今度ばかりはぶつけようのない思いが

主人への思慕と共に

わたしの内側で

混沌としている。