死別後を生きる

2015年春 夫と突然死に別れ…
ふたりの子どもとともに残された
わたしのココロ模様

着古した服のように

毎年夏に着る、薄紫色のカットソーと

グレーのギャザーたっぷりのフレアースカート。

カットソーはコットンで柔らかく、身体に優しく馴染んでほんとうに気持ちいい。

スカートは麻。わたしの膝よりほんの少し長め。

足さばきがよくて、素材の善さであろう、さらりとして涼しい。

この2アイテムを買ったのは、たぶん10年以上前。

バーゲン前に、あるブランドショップで見つけた。

一見シンプルで、どこにでもありそうな品。

でも値段が…高い💦

バーゲンまで待てば…

だけど、他の誰かに持っていかれてしまったら…

葛藤の末、定価で購入した。

以来、夏には欠かせない、登場回数ダントツ一位のお気に入りになった。

ゆえに色は褪せ褪せ、質感もくたくた。

それでも昨夏までは、着心地のよさを求めて何度となく着用した。


ところが今年はほとんど着ていない。

なんとなく

なんとなく…

今のわたしには必要なくなったような、

似合わなくなったような、

そんな違和感を感じて、袖を通さなくなった。


「長い間ありがとう。大好きだったよ。」


そう言って、この夏でお別れしようと思っている。




今年の祥月命日の前後は、3年前のあの痛みが呼び覚まされたようだった。

辛くて辛くて悲しくてたまらなかった。

久しぶりに大泣きした。

7月には転職→あっという間の失業。


すさまじい嵐から3年。

やっと静かになりかけた海がまた少し荒れて、

またもやわたしの舟から

馴染みのある

愛着のある

なかなか手放せないと思っていたものが、

去っていった。

そのひとつが


『夫を喪った悲しみ』


であることに気づいた。


これからも、あのたまらない悲しみを思い出し、その思い出に涙することはあると思う。

でも、『今ここにいる』わたしが、

「主人が亡くなって悲しい」という言葉を発するのは(何かちがう)感じがする。



今、わたしの目の前に立ち込めていた分厚い黒い雲が流れ行き、雲が途切れつつあるのがわかる。


わたしは雲ではなく、空だった。



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わたしのこの拙いブログをお読みくださっていたみなさま。

ありがとうございました。

この『死別後を生きる』というタイトルも、しっくりこなくなりました。

これでこのブログはおしまいにします。


さまざまな状況や立場・心情の方が読んでくださっていたと思います。

時にはブログの内容や表現に嫌な思いをされたかもしれません。

どうかおゆるしください。


最後に、愛と感謝を送らせていただきます。



さんじゅうし